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Flowers for Algernon

ユースケ・サンタマリア主演で「アルジャーノンに花束を」というドラマがありました。
一回ぐらいで見るのをやめたけど、たしか原作を読んでみたいと当時思っていたような気がする。
そんなようなことを最近ふと思い出しました。それで図書館で借りてきて読みました。
泣けました。
どうしてこんなに悲しいのでしょう?悲しいというよりはもどかしいのかもしれません。あるいは悔しいのかもしれません。人々は知能障害者である主人公を馬鹿にして笑うのに、彼はそれを友好的な笑いとしてしか受け止めることができないのです。

白痴であることは不幸なのだろうか?可愛そうなのだろうか?なぜ可愛そうなのか?読み書きができないから?政治について議論ができないから?映画を観ていても笑いどころがわからないから?
おそらく不幸なのは彼らではなく、彼らを笑う私達。
人間は自分より劣っている人がいないと自信が持てなくて不安になる、弱くて醜い生き物なのかもしれません。

うちの近くの道を毎朝早足で行く集団があります。知能障害の人たちが3人ほど連れ立って作業所へ行くのです。往復10キロ以上はあるでしょう。それでも彼らは毎日歩いて行きます。手をとりあってもくもくと歩いて行きます。小学生だった僕は通学路の一部が彼らと同じだったので興味本位で声をかけたり手を振ったりしていました。でも彼らはほとんど無反応で早足で歩き去って行きました。
大学生だった頃、学校へ向かう地下鉄の中で時々知能障害者の青年を見かけました。落ち着きのない青年です。キャップをかぶっていて肩からは鞄を下げいます。
小学校のときとは違い、僕は彼を見ないようにしました。車内広告に目をやったり、リーディングの本を読むふりをしたり、とにかくじろじろ見るのは失礼だと思っていたのです。きっと周りの人も同じようなことを考えていただろうと思います。

いつからか彼の目を見るようになりました。周囲の人々が彼に対して無関心であることは彼にとってはじろじろと見られるよりもつらいことなのではないか、そう思ったのです。彼の目を見ることによって、「僕はあなたに関心があるのですよ」というメッセージを投げかけていたつもりです。視点は定まらないけれど、曇りのない、いい目をしています。彼も僕と同じ人間なのです。
「アルジャーノンに花束を」からも似たようなメッセージを受け取りました。

さまざまな文化的背景を持った人達がそれぞれの違い、多様性を尊重することによって実現される多文化共生社会。グローバル化の中で国境を越えた人口移動が活発な今日において多文化共生の道は避けられません。
しかし外的なものだけではなく、内に存在する違いにも当然目を向ける必要があります。
国籍や宗教の違いを乗り越えるだけではなく、健常者障害者も同じ人間として共に暮らせる社会こそが真の多文化共生社会。
本を読んだ後でそんなことを脈絡もなく考えたりしました。

by akio-511 | 2005-03-22 19:35 |  

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